崎田稲荷神社

2007.10.13

串間市大字崎田




崎田稲荷神社
由来
「祭神は倉稲魂の命、大田命。大宮賣命を祀る。
利久の先は安部仲麿の臣下で忠勤があった依て、安部を給はった則安部氏の末裔である仲麿唐に入るに及び従って兄弟唐に入る仲麿彼地に死するに及び兄弟帝都に帰らず。
日州那珂郡玉木ヶ崎に隠任す、利久に至り厚く倉稲魂命を尊信す、永承年問三条の小鍛冶櫛間の庄羽ヶ瀬に下向す、依て利久は小鍛冶に就て鍛冶の業を学んだ、而して金山彦の神倉稲魂の神を歓請し奉る後利広の時に至りて或夜霊夢を見る。
白狐枕頭に現はれて日く。
 古へ信田の森に現はれし折誓いを永く茲に止めんと。
時に保元元年二月であった御神詠の森永の二字を戴き姓を森永と改めたといふ、爾後神験著しいものがあり、諸人益々尊信する様になった、それで利広は森永平十と謀り上洛して神道長森田家へ願い正一位稲荷大明神の尊号を戴いた利正の時に至り、福島十三所明神の社司桑山某を従へて上洛し、神道長吉田家の美許状を得て帰へり吉野大夫と号した後森永家を弟利永に譲り、自ら別に一家を立てた是が井黒家の祖先である稲荷神社は崎田村の鎮守の神と崇め奉り諸人の尊信が益々厚い明治維新後各社合祀の事あり
明治六年五月都城県管轄中本城神社へ合祀せられたが明治十九年九月村民の請願に因り 復立の許可を得た本社は旧来遠く飫肥志布志其他の地方より稲作守護の神として参詣者が多い
例祭は旧暦二月の初午である。」
市道から山手に約2Km入り込んだところ

木の上には二股観世音菩薩、その下に賽銭箱

串間市指定文化財
稲荷神社のクス