石橋巡り
(2005年1月2日〜3日)

4.長崎市その4〜脊振村〜荒尾市〜玉名市
(下大野橋・正念橋・背振の眼鏡橋・岩本橋・高瀬眼鏡橋・秋丸眼鏡橋・上町橋・小崎橋・酢屋橋・土戸橋)



1.南有馬町〜加津佐町〜小浜町〜長崎市

2.長崎市(中島川)

3.長崎市 その3

5.道中で見たもの
その1
その2



下大野橋 長崎市船石町

橋長:5.0m
橋幅:4.0m
架設:昭和35年




滝の観音から県道45号線を南下、国道34号線へ左折。諫早方面へ2Km先(十八銀行の次の信号)を右折。860m先右折、400m先左折したところに架かっています。
正念橋 長崎市古賀町正念

橋長:6.3m
橋幅:2.0m
径間:2.7m
拱矢:1.6m
環厚:0.34m
架設:大正




下大野橋から国道34号線へ戻り、150m西進。十八銀行の信号を正念方面へ右折。550m先分岐は左へ。550m先分岐は右へ。600m先長崎バイパス古賀市布入口から二つ目の道へ左折したところに架かっています。
背振のめがね橋 佐賀県神埼郡脊振村大字鹿路字川ノ内

城原川
橋長:20.0m
橋幅:6.0m
架設:明治24年

東背振ICより県道31号線へ。佐賀方面へ2.9Km先、飯町交差点を右折約5Km先左手にあります。
「この橋は、明治の中期、県内道路改修の一環として進められた橋梁架け替え工事によって架設されたもので、当時、地形や工法上の数多くの困難を克服した先人の努力が結集した貴重な文化遺産の一つである。
 橋の幅員6m、長さ20m、橋脚は城原川両岸の岩盤に固定され、耐久性と、急流の負荷を少なくするために、アーチ構造を持つ石造橋として、明治24年3月に総工費875円で竣工した。
 この橋の完成によって、三瀬、背振の山内に通じる広滝山里道と、神埼方面に至る仁比山県道が直結して、神埼郡内の南北縦貫幹線道路が完備、以後の交通運輸、産業開発に計り知れない恩恵がもたらされた。更には、背振渓谷の景観にも一層の趣が加わって道行く人々の目を楽しませてきたのである。
 しかし、近年の車輌大型化と、交通量の激増から架け替えの必要が生じた為昭和53年9月、東方100m余の地点に現在の鉄筋コンクリート製の新橋が架設され、旧めがね橋は、明治期における脊振村の近代化を象徴する文化遺産として保存され、今日に至っているのである。」

脊振村教育委員会

めがね橋
「恵みの流水」
 脊振村は、森林と水源のふるさとです。
 森林は、人々にやすらぎとうるおいをあたえ、さらに私たちの生活に欠かせない大切な水を育んでくれます。
 めがね橋の欄干から噴き出る水「恵みの流水」は、みどり豊で自然の豊富な村「せふり」からここを訪れる人たちへの贈りものです。
平成14年6月
岩本橋 荒尾市上井手字岩本
熊本県指定重要文化財

橋長:32.7m
橋幅:3.4m
径間:12.6m
拱矢:5.9m

国道208号線、荒尾市役所前から県道314号線へ。5.4Km先県道29号線へ左折、1.2Km先左手関川に架かっています。


「岩本橋は関川に架けられた石造のアーチ橋である。川幅が広く岸も低いので一つのアーチにすれば橋の高さが異常に高くなるところより、二つのアーチの設計を石工たちは考えたのであろうが、そうすると川の中央に基礎がくるので川の流れを阻むし、橋の根元が洗われて危険であった。そこで、石工たちは橋脚に水の抵抗に強い小岱石を運び、壁石を壊さないように「水切り」を上流と下流に設け水流をスムーズに両側に分けるように工夫した。アーチは厚さ60cm余りの43個の輪石で組み、その上には整然と切石を積みあげ水平床にし、人や車の往来を便利にするように造り、床の左右に高欄を設ける。高欄は地床に沿って地覆を捉え束石をたて笠木を載せた素朴なものであろうが、それらの数か所に浮彫装飾が施されている。その中には八弁及び十六弁の菊花がみられる。
 この工事の石工や竣工年月日は瞭らかではないが、熊本県八代郡東陽村種山の石工橋本勘五郎が明治4年頃工事責任者となって架橋したのであろうと古者はいっている。勘五郎は明治6年3月上京し内務省土木寮に勤務し宮城二重橋等を架設し、肥後名工の名声をたかめた。勘五郎が矢部の通潤橋架設の際用いた橋枠の模型をみると厚さニ寸、幅八寸の板で橋の形の枠組みを大工が作り、この枠の中に輪石を積みこみ最後の要石をはめこんで枠を外すと奇妙な音をたてて橋がしまる。もし橋が壊れる場合工事責任者は切腹するのが橋かけの不文律であった。岩本橋をみるとき当時の命がけの仕事振りが窺われる。
 昭和37年7月4日397mmの集中豪雨が橋を襲い橋の一部が破損したので道路改修の一環として新岩本橋を新設するとともに、分水路を開鑿し橋を災害より守り、昭和60年より三カ年計画で関川環境整備事業がなされ観光資源としての価値も高めた。」


上井手上子供会
荒尾市教育委員会





高瀬眼鏡橋 玉名市高瀬下町
県指定重要文化財

橋長:19.0m
橋幅:4.1m
径間:6.7m
拱矢:3.3m
架設:嘉永元年(1848)


奥には秋丸眼鏡橋

玉名市役所から国道208号線を東へ400m、高瀬大橋手前を左折、左手裏川に架かっています。
「高瀬町は、江戸時代米をはじめとする農産物などの集散地(港町)として繁栄した。
 町並みは、上町から下町に至る本通り筋があり、人工河川である裏川から直接荷物の上げ下ろしができるようになっていた。
 また、渡し場が、現在の高瀬大橋付近にあって、この眼鏡橋は当時町の玄関として象徴的存在であった。
 橋は、アーチの径(スパン)が6.7mある二連橋で、長さは19mある。基礎からアーチ頂上までの高さ(拱矢)は3.3mある。江戸時代末期の嘉永元年(1848)高瀬町奉行高瀬寿平らによって造られた。」

案内板より

「裏川下流部にかかる長さ19m、幅4.1m、径間6.7mのアーチがふたつ並ぶ石橋。1848年(嘉永元年)に種山(八代郡東陽村)の石工橋本勘五郎によりかけられたといわれている。現在、県指定重要文化財となっており、裏川の持つ特有な歴史的景観をつくっている。」
案内板より





秋丸眼鏡橋 玉名市高瀬下町
市指定重要文化財

橋長:11.7m
橋幅:3.7m
径間:5.0m
拱矢:2.5m
架設:天保3年(1832)




「江戸時代に裏川上流にかけられた長さ11m、幅約3.7m、径間約5mのアーチ型石橋。現在は、河川改修工事に伴う新秋丸橋の建設により、平成9年に裏川下流部へ移設復元がなされた。」
案内板より
以下は上流部石橋群
「上流部には、周辺商家の石垣に合わせ、当時の商人達が、荷物の搬出入のために築いた石橋群を見ることができる。この石橋のいくつかには、橋台に荷車用の車溝がほられており、当時の商人の知恵と工夫を見ることができる。」
案内板より
上町橋 玉名市高瀬下町

6径間桁橋




小崎橋 玉名市高瀬下町

4径間桁橋
「生活の知恵
この橋には、片方だけに一本の掘り込みがあります。
荷車やリヤカーの片方の輪をその溝に入れ川に落ちないような工夫があります。
片方だけ溝を彫る事により幅の広い車にも対応出来るようになっております。」

高瀬裏川筋を愛する会




酢屋橋 玉名市高瀬下町

4径間桁橋
「生活の知恵
この橋は、中央をくり抜いてあります。重い荷物をかかえたり、天びん棒で荷物を運ぶ時、両足をしっかりと踏んばり川に落ちないような工夫がしてあります。」

高瀬裏川筋を愛する会




土戸橋 玉名市高瀬下町

5径間桁橋



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