石橋巡り
(2004年2月1日)

坂本村〜八代市〜東陽村〜泉村〜中央町
(あいおい橋・小崎眼鏡橋・藤本天満宮眼鏡橋・床波眼鏡橋・大平眼鏡橋・鑑内橋・松山橋・今屋敷橋・館原橋・仁田尾橋・
新開橋・平山橋・竹の子橋・高原橋・落合橋・妙見橋・木早川内橋・小筵橋・二俣橋・機織橋・古米橋・白石野橋)



今回は以前訪問して探し出せなかった石橋への再挑戦です。
でも八代と中央町、2回も道を間違えました。

間違いに気づいた時、そのまま進むか引き返すかの決断は難しいものがあります。
性格上、どうも引き返すのは苦手なようです。
道を間違えた割には本日の新規合計16基。上々の首尾でした。

朝は晴れていたのですが、昼ごろから雨が降り始めました。
泉村は雨についているみたいです。









あいおい橋(てこ橋) 宮崎県えびの市
※2004.04.17訂正
これは杉水流水路橋でした

※2004.07.18
名前を靉靆(あいたい)橋に訂正


仮設年:明治初期
途中ついでに立ち寄りました。

国道221号線から県道404号線の入口に「めがね橋」の案内板があります。その地点から国道221号線を約500m東進、左下の道へ入り、100mも走るとあります。




小崎眼鏡橋 熊本県八代郡坂本村中谷字小崎
坂本村指定建造物

橋長:9.0m
径間:7.0m
拱矢:4.3m
架橋:嘉永2年(1849)

「中谷地区を貫流する、中谷川小崎部落に架けられている。橋のたもとにある石柱には嘉永2(1849)年2月とあり、当時の庄屋名をはじめ、間廻り、小崎辻など現存する集落名と共に世話人など多くの人名が刻まれている。現在では特別な伝承はないが、当時の住民あげての架橋工事であったと思われる。昭和38年8月の集中豪雨による大水害にもびくともせず、五木から八代への街道の一つとして幾星霜の風説にも耐え、さまざまな村の歴史、人の哀歓を秘めたように、その昔ながらの風格を保ちひっそりとかかっている。」
坂本村教育委員会

国道219号線、坂本村坂本で球磨川を渡り、左折。道なりに進み、九州自動車道をくぐります。すぐ右折、坂を下ると左手に中谷小学校が見えます。そのまま直進約100m先右手です。









藤本天満宮眼鏡橋 坂本村葉木字藤本

橋長:1.05m
橋幅:1.6m
径間:1.63m

拱矢:1.05m

坂本村役場から県道158号線を約1Km南下、発電所を過ぎて、左手に神社が見えます。そのそばにあります。
気づかずに通り過ぎてしまいました。










床並(とこなみ)眼鏡橋 熊本県八代市二見野田崎床並

下大野川
架橋:嘉永4年(1851)頃 
橋長:12.5m
橋幅:2.75m
石工:不明

2度目の訪問でようやくたどりつきました。しかし、坂本村から二見へ山越えして来るはずが、道を間違えて日奈久へ出てしまいました。

国道3号線八代市二見で県道253号線に入ります。約3Km先、床並橋の上から右手に見えます。





大平眼鏡橋 八代市二見赤松町

二見川
架設:明治38年(1905)5月


「この橋は旧薩摩街道に架かる「大平眼鏡橋」とは別のものです。
この橋は、明治38年5月大牟田の実業家 円佛七蔵によって築造されたものである。七蔵は当時23才であった。その後七蔵は大牟田市議 県議として活躍、昭和11年1月18日死去 平成2年1月吉日
建立者 大牟田市原山町    円佛美咲
協賛 八代市二見公民館」


床並橋から国道3号線に戻り、約2.1Km南下、赤松バス停があります。そこからさらに約600m右手の道に入ります。
すぐにこの橋を渡ります。





鑑内(かんない)橋 八代郡鏡町内田
鏡町指定文化財

鏡川

「この橋は、文政13年(1830)頃、種山の名石工、岩永三五郎が造ったといわれており、現在町内に残っている唯一のめがね橋です。
 橋の長さは7.2m、幅2.8m、径間5.5mです。
 鏡(鑑)町と内田村を結ぶところから鑑内橋と呼ばれ、江戸時代には八代〜松橋間を結ぶ下往還の要所であった。
 明治10年の西南の役に日奈久南の洲口に上陸して北上する官軍の斥候と、熊本城攻めの薩軍から派遣され南下する斥候とが初めて出合った所で、その情報によって薩軍は氷川の線に陣地をかまえ両軍が戦いをまじえました。
 石橋の老朽化に伴い平成6年(1994年)3月に修復されました。」

鏡町教育委員会

八代市内から県道42号線を北上、鏡町役場から約1Km先、県道153号線へ左折、約50m先左手です。




松山橋 八代郡東陽村

橋長:8.5m
橋幅:1.8m 
径間:7.4
拱矢:2.5m


架橋:1915年頃
石工:川野賢蔵

前回東陽村を訪問したときは、ここは駐車スペースがなくて、おまけに雨が降っていましたので、あきらめました。今回は少し離れた場所に車を止め、歩いて行きました。
なかなかいい雰囲気の橋です。

石匠館にある石橋マップを参照して下さい。




今屋敷橋 東陽村

橋長:7.37m
橋幅:2.48m 
径間:6.3
拱矢:3.44m


架橋:1848年頃
石工:種山組

前回は雨でしたので、今回撮りなおし。





館原(やかたはら)橋 東陽村

橋長:7.25m
橋幅:2.32m 
径間:5.93m
拱矢:2.26


架橋:1848年頃
石工:種山組

ゆっくり裏にまわって撮りなおし。




岩本橋 東陽村

橋長:4.26m
橋幅:1.21m 
径間:3.01
拱矢:1.81m


架橋:1871年頃
石工:種山組

前回来た時よりもまわりがきれいになっています。




仁田尾(にたお)橋 東陽村

通り過ぎるだけではもったいないので、パチリ。




新開橋 東陽村

橋長:2.2m
橋幅:2.2m 
径間:1.1
拱矢:0.9m


架橋:江戸末期
石工:不明

ここも、車を遠くに止めて歩いて行きました。









平山橋 東陽村

橋長:1.8m
橋幅:1.8m 
径間:1.3
拱矢:1.0m


架橋:1872年頃
石工:種山組

前回見つからなかった(みつけられなかった)

国道443号線、椎屋橋より約600m北上、右手奥に標柱あり。右手の山道を道なりに進むと見えてきます。





竹の子橋 八代郡泉村栗木

橋長:18.3m
橋幅:3.1m 
径間:12.4m 
拱矢:6.0m
架橋:大正中期 

落合橋より県道247号線を約500m進むと、左手に見えます。





高原(たこら)橋 泉村栗木
「たかはら」がなまって「たこら」になったのでしょうか。「こうら」ではないみたいです。「たこうら」でしょうか?

栗木川
橋長:15.0m 
橋幅:2.15m 
径間:11.9m 
拱矢:4.0m

「高原橋は“こうらばし”と呼ばれ、旧栗木村のほぼ中央に位置する栗木川に架けられた眼鏡橋で、泉村には石橋が13基ある中で5番目に古い橋となっています。栗木地区のこの橋より上流では、木材を始め林産物の生産が盛んだったため、当時は人馬の通行や日常の生活道として大変重要な橋でした。
 大正年間現在の県道の整備により使用されなくなりましたが、たび重なる大水にもまけず、当時の姿を保っています。
 全長15.0m、径間11.9m、拱矢4.0mと橋の規模はそれほど大きくありませんが歩行部の中央が盛上り、アーチ型をなしており、高欄(手摺り)も付けていないなどの特徴があります。
架設年:明治35年
石工:田上甚太郎」

泉村

竹の子橋より約300mさらに進むと左手に見えます。
向かい側は法泉寺。




落合橋 泉村柿迫

橋長:20.0m
橋幅:4.6m 
径間:15.0m 
拱矢:10.0m
架橋:明治10年(1879)

泉村役場から約300m南下し右折すると落合橋です。泉第二小前。

妙見(みょうけん)橋 下益城郡中央町

鴨が仲良く泳いでいます。

国道218号線を中央町佐俣より国道443号線へ入り、約4.3Km先、T字路の地点です。現役の国道の橋。




木早川内(きそかわち)橋 中央町松野原

橋長:10.0m 
橋幅:3.0m
架設:昭和59年1月

妙見橋から県道を北西へ約1.2Km、左折してすぐ。









小筵橋 中央町

木早川内橋から古米橋を探すのに、道を間違えて一山越えて県道105号線へ出たようです。小川町のすぐ近くでした。
再び木早川内橋のところに戻ったので、小筵橋から二俣橋へ向かいました。

小筵橋は、イチョウの葉が色づいた季節が一番ですね。

国道218号線を豊野町から中央町へ入り、国道443号線と交わる大きな交差点から右折、すぐ左手。





二俣第二橋 二俣第一橋
二俣橋

国道218号線を豊野町から中央町へ入り、国道443号線と交わる大きな交差点から左折し、すぐに果物屋さんから右折、突き当たり。




機織(はたおり)橋 中央町岩野

釈迦院川
橋長:15.0m 
橋幅:3.65m
架設:昭和42年5月

この橋は今まで何度となく通りました。石橋だとは気づきませんでした。二俣一号橋、年禰橋の上流になります。

国道218号線を中央町佐俣より国道443号線へ入り、約2Km先、現役の国道の橋。




古米(ふるよね)橋 中央町古米

橋長:4.0m 
橋幅:3.0m

妙見橋へ戻り、振り出しでもう一度探しに向かいました

木早川内橋より県道へ戻り、北西へ約700m、左折してすぐ。
 
白石野橋 中央町白石野

橋長:11.0m 
橋幅:1.8m

ついでにこの橋も見つけました。

古米橋より県道へ戻り、さらに北西へ約300m左下へ道を下りきったところ。