石橋巡り
(2004年2月7日)

菊池市〜大津町〜菊陽町
(石水寺の石橋・一勝地橋・橋詰橋・迫間橋・綿打橋・雪野橋・龍門橋・虎口橋・立門橋・永山橋・
大願寺橋・光尊寺橋・松古閑橋・井口眼鏡橋・上津久礼橋・入道水眼鏡橋)



今回も早朝出発しました。満月が出ていましたが、野尻町付近から雪が降り始めました。
高速道路は人吉〜八代間通行止め。

本日の新規収穫は13基。





雪は太鼓型によく似合います太鼓型が雪によく似合うのかな。
石水寺の石橋 熊本県人吉市下原田町

今日は雪のため先へ進めない可能性を考えて、石水寺の雪景色を保険に撮影。


国道219号線を国道445号線との合流点から西に約2Km。国道沿いに案内板がありますので右折。約1.5Km右手。




一勝地(いっしょうち)橋 球磨郡球磨村一勝地

雪山を背景に・・・。

国道219号線、一勝地で球磨川を渡り、球磨中学校方面へ約600m右折したところ。現役の橋。


橋詰(はしづめ)橋 球磨村一勝地

一勝地橋の約500m上流に架かっています
これから先、国道219号線は雪が本降りになってきましたが、八代につく頃にはやんでいました。




橋は縦の構図がよく似合うなー、とつくづく思います。上の一勝地橋もそうですが、この構図も遠景の空と山、中景の橋と家、近景の川の流れと滝。山水画の構図ですね。
名勝・遺跡
 休み石と迫間滝とめがね橋
「菊池市大字隈府字逢帰り(高野瀬区内)にあるこの石は昔から、よこい石(休み石)といわれていた。即ち正面に見える菊池随一の水の名勝といわれる迫間滝のすばらしい景観を菊池公は鳳来山聖護寺に勉学に登られる途中駒をとめて、この石に腰をおろして風景を絶賛されたという。
 (白布の滝流、紺碧の滝つぼ、両岸の男性的岩石、緑と紅葉の美)文政12年以後は石造アーチ橋の円弧美も加わってきている。迫間滝を詠む。細川綱利(細川家第五代藩主)
 「岩波を梢にかけて松風も
   さらに音なし山の滝津瀬」

高野瀬区・同公民館
「高野瀬郷土誌」編集委員会
迫間(はざま)橋 菊池市西迫間
迫間川
橋長:36.4m
橋幅:4m
高さ:10m
架設:文政2年(1829)

「眼下の迫間川渓谷を跨ぐこの石造眼鏡橋は、隈府町及び豊間方面と西迫間、小木村を結ぶ重要な橋で、長年の要望にこたえ文政12年(1829)完成した。碑名には惣庄屋石渕七郎右衛門、庄屋 打出市郎兵衛、世話方庄屋 平山八左衛門、総入目寸志(総工費出資)田尻藤七郎、石工 伊助と刻まれている。
 長さ36.4m、幅4m、高さ10m、文政年間では熊本最大の石造眼鏡橋で、当時この技術を持つ者は八代郡種山村の三五郎一族だけとされていたが、この橋の石工は西迫間村の伊助であった。この橋のアーチは扁平で拱環(半円部の輪石)も種山式に比べ薄く独特のものであるが、激しい諸車の通行にもかかわらずよく百六十年の風雪に耐え、川面に写る景観は諸人の眼を楽しませている。
 なお、碑文「迫間橋」は、隈府町の学者 城野静軒の筆である。」

菊池市教育委員会

菊池市、菊池神社から県道133号線を約500m北進、左手の道に入ってすぐ見えます。




綿打(わたうち)橋 碑はあるんですが、字が読めません。碑文もありましたが残念ながら読めません。

上流部はコンクリートで拡幅してあります。現役の橋です。
迫間橋より旧道を北に100m位進んだところに架かっています。









雪野橋 菊池市雪野

架設:明治36年(1903)
綿打橋から県道133号線に出て、さらに約2.4Km北上、犬滝バス停の先、県道の右側にあります。




寺小野バス停付近の新橋から下流側に見えます

錆付いた鉄製の階段を下りて写しました。
この階段は危険度99%、そのうち朽ちて落ちるでしょう。
龍門(りゅうもん)橋 菊池市龍門
橋長:22m
橋幅:4.3m
架設:明治22年(1889)

犬滝橋より県道133号線をさらに1.4Km進み、龍門小学校の矢印があるところを左の道路に分岐、約600m下ると左下に龍門発電所がある。車を止め、徒歩。








虎口(こく)橋 菊池市龍門字虎口

橋長:25.3m
橋幅:4.25m
架設:嘉永3年(1858)

下に降りられそうになかったので、上から。

龍門橋から県道133号線に戻り、龍門ダム方面へ約1.5Km、虎口入口バス停より左下の道路へ分岐して進みます。そぐにこの橋です。
立門(たてかど)橋 菊池市重味字立門
県指定重要文化財
「この橋は、菊池川支流の柏川に架けられた単アーチ橋と右岸側に平行して流れる用水路に架けられた持送り式桁橋からなる石橋で、菊池から上津江村を経て、小国を結ぶ旧街道の要衝の地にあります。
 安政5年(1858)10月設計見積書が作成され、河原手永会所の伝作や惣庄屋小山三右衛門などにより郡代の中村庄右衛門に提出されました。
 これにより安政6年10月、細川藩に建設願書が出され、許可を得て同月に着工し、翌年の万延元年(1860)4月に完成しました。
 石工は宇一(橋本勘五郎の兄)で、架橋に関した当時の資料によると石工、大工、人夫の総人数は、5878人とする計画書が出されています。
 また、橋に刻まれた「立門」の文字は建設時のもので、漆喰が塗りこまれています。
 橋の長さは75m、幅3.6m、高さ約12mで、下流側の両岸には流壊を防止するため、石垣積みにより補強がされており、大型の眼鏡橋として学術的にも貴重な橋です。」

菊池市教育委員会
 

建設時、漆喰で塗りこめられた「立門」の文字がくっきりと浮かび上がっています。
肉眼で見ている時には光線の関係か、全く気づきませんでした。
帰宅し、看板の説明を読み直し、写真をまとめるとくっきりと浮かび上がっていました。

上流側から
右岸側の持送り式桁橋
菊池市街地から国道387号線を約9.5Km北上、立門地区のT字路を左折して右手にあります。




永山(ながやま)橋 菊池市大字原字永山

ここでも橋本勘五郎さんに会えました、偉大な方ですね
菊池市文化財指定
「旧永山橋は、現永山橋より130m下流に文政6年(1823年)に架けられたが、文政12年5月の洪水で流失している。現永山橋は、明治11年完成している。架橋は古老の武藤逸美氏は「私の祖父甚平に妻(祖母)がお嫁にきたのが明治9年であった。その年が着工の年で翌々年明治11年の春約2ケ年の歳月を費して現在の橋を見るに至った」と語る。工事中一度枠組みに失敗して再度やり直したと伝えられている。当時、永山橋は熊本、合志、菊池と小国、豊後との交通上の要路で、この西片4Kmの地点にある日田往還よりの立門橋と共に肥後と豊後の交易の要路上の重要な橋としての意義は大きなものがあった。石工は肥後八代種山手永の橋本勘五郎である。
 使用石材は近くの上崩迫より切りだして多くの石工、大工、人夫によって構築されている。明治4年に東京に召された橋本勘五郎は、皇居の二重橋をはじめ、江戸橋、万世橋、浅草橋等の眼鏡橋を架けて当時の東京市民の生活の便をはかっている。内務省土木寮測量士の辞令を貰い、その辞令によると、明治7年の日付けで「月給弐拾円也」となっている。永山橋は欄干の形状に特長があるといわれる。
規模 長さ24.4m 高さ17.0m
   幅 4.7m 輪石45枚」

環境庁
熊本県

立門橋からT字路に引き返し、県道45号線で約2Km進むと右手に「永山橋」の標識があります。そこから歩いて下ります。




大願寺(だいがんじ)橋 菊池郡大津町大字室

大願寺の前に架かっています。


「塘町筋(とうまちすじ)寛永の頃に熊本藩主細川忠利公により堀川(瀬田上井出)の開削工事が再開された際、工事の排土により築かれた川塘の上に建てられた町並みが塘町筋である。ここは、豊後街道に面しており、宿場形成のために一部白川筋の住民を移住させるなど、当時政策的に作られた町である。旅籠・商家などが軒を連ねて宿駅大津の中心地となった。堀川の北側に並ぶ光尊寺・年禰神社・大願寺は何れも新住民の定着を願って建立されたものである。また、堀川には、上流から地蔵橋・光尊寺橋・松古閑橋・大願寺橋・井出上橋の5基の石造眼鏡橋があり、このうち下流の4基がこの町筋にある。さらに、西南戦争の弾痕の残る大願寺山門や芭蕉百年忌に建立された芭蕉句碑など、往時をしのばせる史跡が多く、ここは歴史の香りのする町並みである。」
大津町教育委員会


大津町役場前を西へ約300m進み、法務局前を左折、150m先の川沿いです。




光尊寺(こうそんじ)橋 大津町

光尊寺橋の前に架かっています。

「史蹟 堀川(上井出) 加藤忠広公は父清正公の遺志を継いで元和4年(1618)堀川の開墾に着手、瀬田鍋倉の瀬に取入口を設けて幾多の難所を排除しつつ工事を捗めた。しかし寛永9年没封国除となり、かわって入国した細川忠利公がその遺業を継ぎ、寛永13年(1636)工事を再開、次代光尚公により坪井川まで全長約24kmの堀川が完成。原野変じて大津穀倉地帯の基が礎かれた。このことは肥後三大御倉の一つ大津御倉が置かれたことが如実に物語っている。
以来堀川に沿って集落が形成され大津手永会所の所在地として政治経済の中心地となり、また参勤道の宿場町して繁栄を続けた。往時堀川には流れを利用した水車が20余輪を数え、後に米粉加工による郷土銘菓銅銭糖の誕生をみることになる。当光尊寺は承応2年(1652)に開基された古刹で山門に架る石橋は文化12年(1815)架設で堀川に現存する石橋の代表的な一つである。」

大津町教育委員会


大津町役場前を西へ約300m進み、法務局前を左折、150m先の川沿いです。









松古閑橋 大津町

大願寺橋と光尊寺橋の中間に架かっています。





井口(いぐち)眼鏡橋 菊池郡菊陽町大字辛川字井口
「この眼鏡橋は、馬場楠井出に架かる単一アーチ橋(石造)である。この橋の特徴は、輪石を石契で継いだ工法が用いられている点である。この技法は琉球式(沖縄)石組みといわれ、県内でもきわめて珍しい石橋の一つである。しかし、この橋は、交通事情の変遷によって、東側半分が、後年拡幅工事されており、この橋の鑑賞にあたっては、西側(下流)から見学されることをお推めしたい。数少ない、貴重な遺産であり、大切に保存したいものである。」
菊陽町教育委員会

ここに記載されているように、上流側の輪石は石楔で継いでありません。

菊陽町の総合運動公園入口から県道145号線を東進、約3Km先左手です。




上津久礼(かみつくれ)眼鏡橋 菊陽町津久礼
菊陽町指定文化財
現在は公園化され保存されています。
犬を2匹連れた老人に、この場所を尋ねました。「あっち」と指を指された方向は実際とは30度くらいのずれがあり、振り出しに戻り探し直し、たどり着きました。

橋長:16.2m
橋幅:2.8m
橋長:3.5m

 井口眼鏡橋の東側少し先のT字路を左折、約600m先を右折、さらに約600m先を右折。その頃には田んぼの中に見えてきます。




入道水(にゅうどうすい)眼鏡橋 菊陽町大字津久礼

入道水天満宮に架けられていたものが移設されました。

三里木駅前県道138号線を北上すると、右手に菊陽杉並木公園があります。そこの北東のはずれにあります。