石橋巡り
(2003年12月20日)

砥用町〜中央町〜矢部町〜御船町〜豊野町
  
(めがね橋・大河平水路橋・郡代御詰所眼鏡橋・沢無田橋・小岩野橋・二俣橋・馬門橋・大窪橋・舞鹿野田橋・内山橋・新内山橋・県橋・石清水橋・霊台橋・井竿橋・通潤橋・夕尺橋・金内橋・立野橋・滑川橋・山中橋・瀬戸眼鏡橋・八勢目鑑橋・八勢小橋・八勢水路橋・下鶴眼鏡橋・門前川眼鏡橋・中道橋・下鶴橋・薩摩渡し・三由橋)



うれしい雪の洗礼を受けました、それも適度な。
いつか大窪橋の雪景色を撮りたいと思っていましたが、こんなに早くそのチャンスが訪れるとは思いもしませんでした。

これまで使っていたデジカメのピントが故障したようなので、おニューを抱えて出発



えびのは雪が少し積もっていました




雪のめがね橋を撮影するために立ち寄りました

国道221(268)号線道沿いに「めがね橋」案内標識あり。そこから県道404号線へ約300m先案内板の立っているところより右折。道なりに進み約1.3Km、坂を上ったところ左手に案内板あり。





大河平(おこびら)水路橋
雪はやんでいますが、とても寒かった

ループ橋は積雪で通行止め
めがね橋からさらに約400m進むと左手にあります。




郡代御詰所眼鏡橋  八代郡宮原町

高速道路も速度規制がありました

ここからの山間部の道路状況が心配です


国道3号線宮原町から役場前を通過して、国道443号線を東進。少し進むと右側に公園あり。そこに架かっています。





沢無田(さわむた)橋 八代郡泉村沢無田

泉村役場方面はチェーン規制で行けません
今日の目的の方面だったのですが、断念
雪道ははじめてなので、緊張しました。20キロくらいののろのろ運転で。

国道443号線を東陽村石匠館より約8.1Kmほど進み古屋敷バス停前の氷川に架かっています。




小岩野(こいわの)橋 中央町大字小岩野

予定変更して、雪景色撮影

国道218号線佐俣阿蘇神社から南へ国道443号線へ。約1Km南下し、左手の坂道を上ると右手に標識。





二俣橋 中央町

新年禰(としね)橋の上から撮影

年禰橋(新橋)から見下ろせば、一目瞭然です。
国道218号線を豊野町から中央町へ入り、国道443号線と交わる大きな交差点から左折し、すぐに果物屋さんから右折、突き当たり。

馬門(まかど)橋 下益城郡砥用町今

橋長:27.0m
橋幅:3.1m
径間:11.9m
架設:1827年

雪が強く降っています
傘をさして撮影。

国道218号線を東に進み、豊野町・中央町を過ぎて砥用町に入ると、左側に緑色の「馬門橋」と書いた案内板が立てられています。そこの小道を左に下りそこに車を止め、さらに左に歩いていくと標識あり。




大窪橋 砥用町

橋長:18.2m
橋幅:2.7m
径間:12.3m
架設:1849年

イメージ通りの雪景色でした
この橋と雪はよく似合います

国道218号線霊台橋から中央町方面へ約4.3Km、左折約100m先。




舞鹿野田(もうかんだ)橋 砥用町

橋長:6.7m
橋幅:1.8m
径間:4.1m
架設:1862年

前回ピンボケのため再撮影




内山橋 砥用町内山

橋長:2.5m
橋幅:3m
架橋:弘化年間(1844〜1848)

ここも前回ピンボケ


国道218号線を東進し、砥用町へ入ります。砥用中学校を過ぎて左手に「雄亀滝橋」案内標識があります。ここから右折して県道153号線へ。約500m先右側です。




新内山橋 砥用町内山

橋長:3.2m
橋幅:4.4m
架橋:弘化年間(1844〜1848)

内山橋のすぐ近くにあります




県(あがた)橋 砥用町県

橋長:5,5m 
橋幅:4.5m

雄亀滝橋は積雪のため断念


雄亀滝橋に向かう途中の右手にあります。





石清水橋 砥用町

橋長:5.3m
橋幅:2.4m
径間:3.7m
架設:

雪はやんで、晴れてきました




霊台橋(れいたいきょう) 砥用町

上流側の橋下からのアングル
上から見ると扁平に見えますが、見るべきところから見ると立派な弧を描いています。



井竿(いざお)橋 砥用町甲佐平

橋長:8.0m
橋幅:3.0m
径間:3.0m
施工年:不明

前回見つけられなかったので再挑戦、行き着きました


霊台橋から国道218号線を約300m北上、左上の道路に入る。約1.4Km先橋を渡って県道220号線を左折、約350m先に新しい橋があります。その右下です。

標識は旧道に立っていますので目立ちません。
県道220号線沿いには、下用来橋、西ノ鶴橋、広瀬の眼鏡橋等あります。その2の「高千穂〜砥用町〜甲佐町〜中央町」で紹介してあります。




 
通潤橋 上益城郡矢部町

上部の水路部分。12時の放水時間をはずしていますので、人影は見当たりません。
それとも雪のせいでしょうか?




放水口にはつららが下がっています。
夕尺(ゆうじゃく)橋 矢部町金内

橋長:4.0m
橋幅:2.1m
径間:2.7m
架設:江戸末期

今回の目的、国道445号線沿いを狙ってみました

国道沿いに案内看板があるので助かります。

江戸の末期に旧日向道路に架けられた特徴のある目鑑橋である。この橋を通って原村に行く道筋に矢部惣庄屋矢部勘右衛門重元の時に植樹した杉並木がある。

国道445号線を矢部市内から約6.5Kmで金内橋ですが、その手前左手に看板があります。




おばあさんがかがんで農作業をしているんですが、小さくてよくわからないですね。
金内(かねうち)橋 矢部町金内
矢部町指定文化財

橋長::31.0m
橋幅:5.5m
スパン:16.4m、5m
架橋:嘉永3年(1850)3月

「金内の道路に架けられた二連の目鑑橋で、嘉永3年(1850) 3月矢部惣庄屋布田保之助の時に架けられたものである。
石工棟梁は小野尻の宇一である。」


鴨が遊んでいます。よく逃げなかったものです。

国道445号線を矢部市内から約6.5Km右手にあります。




立野(たての)橋 矢部町立野
矢部町指定文化財

橋長:30.3m
橋幅:2.6m
スパン:3.1m
架橋:嘉永3年(1850)

「嘉永3年(1850)金内橋と同時に造られたもので、橋の半分が道路、半分が段下りで、福良井出になっている。


金内橋から国道445号線を西に行くと中島東部小学校があり、その手前200mほどの地点です。道路沿いに「立野橋」の案内があります。




滑川(なめりがわ)橋 矢部町水の田尾

橋長:7.3m
橋幅:5.0m
スパン:6.8m
架橋:嘉永年間(1848)

嘉永の初期に、滑川に架けられた目鑑橋である。県道で、交通量が多くなり幅員が拡張された際にコンクリートで補強された。」

中島東部小学校から国道445号線を西に約2Km、中島中学校の少し先にあります。国道445号線の現役の橋です


すごいですねー、156年も前に造られて、現役の国道の橋ですよ。




山中(やまなか)橋 矢部町山中
矢部町指定文化財

八勢川
橋長:13.5m 
橋幅:2.25m 
径間:6.35m 
拱矢:4.0m
架橋:嘉永2年(1849)12月
 
名前の通り、山の中にありました。
遠くて寒いので、新しい橋の上から撮影しました。

滑川橋から国道445号線を西へ約3.2Km、中島西部小方面へ右折そのまま進むと、山中大橋がありますが、そこから左下に見えます。




瀬戸(せと)眼鏡橋 矢部町瀬戸

橋長:8.8m 
橋幅:1.8m 
径間:3.2m 
拱矢:1.7m
架橋:弘化3年(1846)4月

「小型の目鑑橋である。石工棟梁は、小野尻の宇一で、珍しく高欄が設けられている。」
神社の境内からのアングルです。

国道445号線、中島西部小入口から約500m西進、左手に神社があり、その先を左に入ります。

 
八勢目鑑(やせめがね)橋 御船町上野字八勢

橋長:62.0m
橋幅:4.0m
橋高:9.2m
径間:18.2m
架橋:安政2年(1855)

 「江戸時代、熊本と延岡を結ぶ日向街道はここを経て矢部に通じていた。増水すると通行ができなくなるなど不便で、危険であったため、安政2年(1855)御船の材木商林田能寛が私財を投じ架橋した。
 橋は八勢川本流に架かる部分、左岸を流れる用水路に架かる部分が一体となっており、長さは62メートルに及び、県下の石橋で最も長い。別にもうひとつ水路橋が架けられている。
 種山(現八代郡東陽村)の石工卯助・甚平兄弟らにより架橋された。」


瀬戸橋から国道445号線を約3.9Km西進、八勢目鑑橋の看板から右折、本当にこの先にあるのか不安になりつつも、曲がりくねった細い道を約3.4Km進み、左折。下り坂を約700m進んだところにようやくありました。矢部町側から来ると、このコースになるんでしょうね。
後から検討してみると、国道から入り、約300m地点で左折し、七滝中のところから右折して行ったほうが近いかも知れません。




八勢(やせ)小橋 

八勢目鑑橋の奥の部分(左岸側)で、八勢目鑑橋と一体化している

実は、ここを撮影しているときに、道を女性が一人で歩いて来ました。それも、うら若ききれいな女性が・・・。
ここは山の奥、通りも少ない所です。
狸か狐か分からないので、声もかけませんでしたが・・・。
おかげで無事帰宅できました。




八勢(やせ)水路橋

八勢目鑑橋よりも40年ほど前(1814年)、田畑の灌漑用水路として完成。

桜の季節はすばらしいでしょうね。


下鶴(しもづる)眼鏡橋 上益城郡御船町
御船町指定文化財

橋長:71m
橋幅:5.3m
径間:27.3m
完成:明治19年(1886)
石工:橋本勘五郎、弥熊親子

「この下鶴橋は東京の二重橋や日本橋を始め矢部の通潤橋や、わが御船橋など数多くの眼鏡橋を架設して天下にその名をうたわれた名石工橋本勘五郎、弥熊父子によって明治15年(1882)10月から明治19年(1886)10月まで満4年間を費やして架設されたものです。橋の長さ十三間(約23.6m)幅は三間半(約6.36m)総工費2,538円31銭厘を要しました。
 依頼、春風秋雨九十有余年の間、熊本から矢部宮崎県に通する主要道路の交通橋として大いに郷土産業の振興に役立って来ましたが時代の変転は交通量の激増と交通機関激変により、これまで堅固を誇ったこの石橋もついに耐えきれなくなりましたので、ここに近代橋が架設されました。
 今後は、先人の事情を敬仰し、文化財として保存されることになりました。美しい石組みの見事さに注意して下さい。」

   平成14年3月
   御船町
   御船町観光協会

八勢眼目鑑橋から国道445号線に戻り、御船町内に向かい約4.3Km右手です。

橋の上には何台もの車が止まっていて、昼寝をしていました。




門前川(もんぜんがわ)眼鏡橋 御船町木倉
御船町指定文化財

橋長:7.0m
橋幅:2.6m
径間:6.4m
架橋:文化5年(1808)
石工:理左衛門

「江戸時代、日向往還の要路として架橋されたものである。長い間架橋年代、石工とも不明であったが近年(平成10年)、文化5年(1808)、理平の弟子理左衛門が石工と判明した。御船川眼鑑橋橋(昭和63年流失)が弘化4年(1847)の架橋であることから、それより40年近く古い。植木町の豊岡橋、享和2年(1802)等、数例しかない楔石工法で築かれている。特徴は切石の一つ一つを丁寧に川石でつなぎ、石には番号が帰されている。橋の長さは7m、幅2.6m、水面からの高さ4.6mである。現存する県内の楔石工法の中では、豊岡橋についで二番目に古い。
 昭和初期、県道改良工事にあたり本来の位置から移される事になったが、当時の松村熊喜村長らが計画の変更を申し入れている。当初の計画では眼鏡橋を取り壊し、西往還から来た道路を直線で現、木倉小学校入口まで伸ばすことになっていた。
 現在は、松村村長らの要望にそって新しい橋がかけられ、二本の道路が川をはさんで平行に走っており、眼鏡橋は歩道として残され、今も利用されている。」


国道445号線を御船町内より県道221号線へ入り、約500m進むと右手に木倉小学校があります、その手前右手にあります。




中道(なかみち)橋 御船町御船

橋長:3.8m
橋幅:2.5m
径間:2.8m
架設:1855年

御船高校南側、田んぼの中にある・・・ことは分かっているんですよ。
南側のどの辺にあるのかが問題でして、付近を散歩してようやくたどり着きました。


木倉小正門前から南下し、御船高校の西側の道を役場方面へ進み、御船高校の西側を流れる小川を過ぎたあたりで車を降り、小川に沿って小道を約150m南下、左折して約200mの地点です。





下鶴(しもづる)橋(安見橋) 下益城郡豊野町安見
豊野町重要文化財

橋長:22.7m
橋幅:3.7m
径間:19.0m
架橋:嘉永元年(1848)
浜戸川

「この橋車通る扁から須」の石碑有り。御船町にも同じ名の橋があります。
この場所も少し分かりづらかったです。
実は、少し離れた場所の小さな水路に架かる草に埋もれた小さな橋を下鶴橋とばかり思い、半信半疑で撮影しました。
お恥ずかしくて、とても公開できません。

松橋から国道218号線を中央町方面へ向かい、アグリパーク豊野を過ぎて県道32号線へ左折、約2.2Km右手の道に標識あり(あるけど、その先が分からないんですよ)。
その道へ入り、約550m先右折、300m先左手にあります。




薩摩渡(さつまわた)し(巣林橋) 豊野町糸石
豊野町重要文化財

橋長:16.1m
橋幅:3.4m
径間:9.6m
架橋:文政12年(1829) 
石工:東陽村種山、嘉八
浜戸川

国道から見えます。前回はこんな橋があるとは知らずに素通りしてしまいました。
見ようとしないと見えないもんです。
こんな詩がありました
「月影の 至らぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」

この眼鏡橋は種山(東陽村)出身名石工岩永三五郎の兄・嘉八の築造と伝えられ砥用町霊台橋の試作とも云われ、文政12年(1829年)に架けられたもので薩摩往還と云われ現在の一級国道にあたり大名行列や庶民がこの橋を渡り娑婆神峠を越えて小川・御船方面へ通ずるすばらしい造形美を備えた貴重な文化財であります。大切に愛護しましょう。
豊野町教育委員会

国道218号線を県道32号線(高架)と交わる場所から約1.7Km東進、右折して直進、右手にあります。



三由(みつよせ)橋 豊野村下郷
豊野町重要文化財

橋長:21.6m
橋幅:3.2m
径間:12.7m
架設:文政13年(1830)
石工:岩永三五郎
小熊野川
当時この橋は、鬼迫橋と呼ばれていたようである。

「この眼鏡橋は種山(東陽村)産名石工岩永三五郎の築造と伝えられ、文政13年(1830)に架けられた三五郎当時28才青年時代の作で九州の石橋文化を作り出す出世作の一つですばらしい哲学と芸術的価値を備えた貴重な文化財である。彼の偉業を永く称え我々の村づくりに哲学的な発想を促すため大切に愛護しましょう。
豊野町教育委員会

現役の橋です


松橋から国道218号線を中央町方面へ向かい、アグリパーク豊野を過ぎて県道32号線へ入り、南下。約2Km先左手にあります。





これから、市木橋を探したがどうしても見つかりませんでした。

山崎橋では、メモリーカード不良のため、データが消えていました

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